前回の投稿を読まれた方はもうお察しかもしれませんが、私は新型コロナのワクチンを打っていません。
(ちなみにインフルエンザのワクチンも打ったことがありません。別に避けていたわけでもなく、単純に打つ必要を感じたことがなかったからです。)
今回の新型コロナやコロナのワクチン(mRNAワクチン)について触れる前に、私がワクチンなどについて疑問を持つきっかけになった、昔の出来事を書きたいと思います。
今も思い出せば涙がでますし、恥ずかしい過去です。あまり詳しく書きたくもないのですが、がんばってみます。
ごくごく個人的なことなうえに、長くなりますが、お付き合いいただけたら幸いです。
(※猫が死んでしまう話です。つらくなってしまう方は読まないでくださいね。)
気がつけば今日は猫の日!しかも2022.2.22のスーパー猫の日ですね。
・・・
2005年のこと(当時は神奈川県在住)。動物の飼える家に引っ越しをしました。
実家ではずっと猫を飼っていましたし、一人暮らしの時もアパートでハムスターを飼ったりして、動物と暮らしたい思いがありました。
新しい家では猫か犬を飼いたいな!と考えていました。
引っ越してすぐに、姉から、捨て猫を拾ったので里親を探してくれと連絡がありました。
紙袋に入れられて公園に捨てられていたのを、姉と姪が見つけたのです。(ところで猫捨てる人って頭どうかしてますね)
「私が飼う!」と引き取りました。まだほんの小さな子猫でした。
チャフという名前をつけました。
本当にかわいくて、愛しい存在でした。
ちょっと様子がおかしければ病院に連れていき、ワクチンも打つようにしていました。
それが、飼い主としての責任だし愛情だと思っていました。
けれど、ある時、ワクチンを打ったらチャフがぐったりしてしまったのです。
獣医さんに連絡したら「そういうこともありますよ」という軽い返事でした。
その時は、再度病院に連れていき、解熱剤?かなにかを注射したと思います。
とりあえずその時は元気になりましたが、罹るかどうかわからない病気の予防のためにワクチンを打って、具合が悪くなるって?…と疑問が浮かびました。
それまで漠然と、ワクチンは病気を予防するために必要なもの、と認識してただけで深く知ってはいませんでした。
打つべきと言われてるから打ってた、と言ってもいいかもしれません。
そもそも「ワクチン」とはどんなもの?と本を読んだりして調べました。人間用についても。
すると「えっ、こんなものが入っているの?」と驚きました。
もっともらしい理由づけはあるものの、普通の感覚として「こんなもの、体に入れてはいけないのでは…」って思いました。
それから、チャフにワクチンを打つのはやめました。
その後、2013年の12月のことです。
ある朝、夫が、チャフの脇の下にしこりがあるよ、と言いました。
「えっ!?」と触ると、確かにありました。けっこう大きかったです。
今まで気づかなかった自分にも焦りましたし、すぐ病院に連れて行きました。
獣医さんは、これは良性か悪性か、切ってみないとわからない、と言いました。
悪性の場合、放っておけば最後は苦しんで死ぬことになる、と言われました。
午後空いていて手術できますがどうしますか、と言われました。
「えっいきなり?」と私は迷いましたが、でも、結局手術しないとわからないなら早い方がいいのではないかとか、自分の都合でことを考えました。
それで、そこでチャフを医者に預けて、手術してもらうことにしたのです。
手術が終わり一夜明けた翌日、チャフを迎えにいきました。
「腫瘍は思ったより深くて大変でしたが、手術は成功しました」と言われました。
チャフはなんだか固まったような感じでしたが、それは大変な思いをしたのだから仕方ないだろう…と思いました。
それで今後飲ませる薬や介護のこととか話を聞いて、家に連れて帰ったのですが…
家に着くとチャフは、容体が急変していました。
私の目の前で、もがいてもがいて、のたうちまわり苦しんでいました。恐ろしい光景でした。
体が、風船のようにパンパンにふくらんでいました。パニックになりました。
獣医さんに電話し、再び病院へ連れて行くことになりましたが、当時私は車の運転ができず、タクシーを呼んでも時間がかかるので、近所の家にかけこみ、頼んで車に乗せてもらい、再び病院へ行きました。
でも、もう遅かったのです。
縦隔気腫(本来は空気のない縦隔に空気が入ってしまう)ということでした。
手術のせいでしょうが、もうどうにもできませんでした。
チャフは死んでしまいました。窒息死の状態だったと思います。
もう何がなんだかわからなくなりました。どういう会話をしたかとかあまり覚えていません。
死んだチャフをキャリーに入れ、泣きながら夜道を家へ歩き出しましたが、ふと、パンパンになったチャフの体を元に戻してほしい、と思い病院に戻りました。
獣医さんは、なんだか迷惑そうでした。
空気を抜こうとはしてくれましたが、まだ膨らんでいるのに「もう、(やめて)いいですか?」と言われました。
後日郵送で、腫瘍は悪性リンパ腫だったという結果が送られてきました。(もちろん、高い手術費の請求も)
分かっても、もうどうしようもなかったですが、もし良性だったら、私は発狂していたかもしれません。
(余談ですが、リンパ腫の原因は時期的に原発事故だったかもしれないと思います)
獣医を恨む気持ちもありました。その後何軒も他の獣医さんを訪ねて、意見を聞いてみたりもしました。
けれど、結局私を苦しめたのは、自分の愚かさです。
医者に丸投げして自分の頭で考えることをしなかった、自分のバカさ加減です。
あの日一旦家に連れて帰って、自分で調べていたら何か違っていたかもしれない、少なくとも、医者の言うなりに手術なんてしなければ、チャフはまだ生きていたし、あんな死に方をしないで済んだはずです。
病院に連れて行かれ、いきなり怖い手術をされ、一晩知らない暗い場所で過ごしたチャフ、どんなに心細く怖かったことでしょうか。
そして苦しみ抜いて死んだのです。私が殺したようなものです。
その日から、自分を責める気持ち、後悔、チャフを突然失ったショックと悲しみで、地獄でした。
しばらくして体調がおかしくなり、咳が止まらなくなり、高熱が出ました。関節もギシギシして、寝ているしかなくなりました。
食欲もなく、何か口にいれても味がしませんでした。(2013年の話なので新型コロナではないです!)
これって、もしや人生初のインフルエンザ?と思いました。
いつもはめったに風邪もひかないのに。
体調悪化の原因は精神的な落ち込みしか考えられず、「免疫力が落ちる」ってこういうことなんだなぁと実感しました。
友人からは「早くタミフルを!」ということでしたが、その時は完全に医者不信で「医者なんて行ってたまるか」くらいの気持ちで、おそらく時間経過的にもすでに手遅れと思われたので、「自力で治してやる…!」と薬も飲まずひたすら寝ていました。
インフルエンザは自力で治せると聞いたことがありましたし。(もちろん本人の体力によるでしょう)
かなりきつかったですし、その後、咳だけはけっこう長引きましたが、無事全快しました。
夫に感染しないかな?と心配しましたが大丈夫でした。
自前の治癒力で戦ったので免疫も獲得したことでしょう。
インフルエンザにかかったのはその一度きりです。
別の友人が、『笑いと治癒力』(ノーマン・カズンズ著)という本を教えてくれました。
笑うことで膠原病を克服したという、興味深い内容です。
やはり、免疫と感情は大きく関係するのだなと思います。
…こういったことがあるまで、私は特に何も考えず漠然と現代(西洋)医学や薬を頼っていました。
もちろん、救急とか外科とか、命を救うために必要なことはあります。
現代医学は対症療法が基本です。症状を薬で抑えたり、体の悪い部分を切り取ったり。
でもその前にできることがあるのではないか、もっと違うアプローチがあるのではないか、ということを考えるきっかけになったのが、チャフの死です。
常識とされていたり、権威のある人が言うことでも、「本当かな?」と疑ってみること。
自分の頭で考えてみる、調べてみる、という姿勢をもつ必要があることに、気づかされました。
チャフには本当にひどいことをしてしまいましたが、少なくとも、この教訓は忘れず生きていくことが、せめてチャフの死を無駄にしないために自分ができることだと思っています。
まだまだだめだなーと思うことも多いですが、昔より少しはマシになったと思っています。
ペットにワクチンを打たないなどを虐待と考えるむきもあるようですが、かつての無知な私が何も考えずにチャフにしていたことのほうがよっぽど虐待だったと思っています。
全てのワクチンを否定するほどの医学的根拠は私は持っていませんが、極力打たないに越したことはないと思っています。
今は、2012年に施設から引き取った11歳になる猫1匹と、10歳になる元野良猫2匹がいますが、みんな元気です。
また、昨年、父が亡くなりました。
すい臓がんでしたが、父は手術しないことを選びました。私もそれでよいと思いました。
もう高齢でしたし、私は死は終わりではないと思うので、この人生でやりたいことはやったのなら、無理をしなくていいのではないかと思ったからです。
それに手術をしたら、そのまま病院で療養が続き、病院で死ぬ可能性もあると思いました。
父は若い時や後年にも入院生活を経験していて大変辛かったそうで、もう入院は嫌だと言っていました。
その後、父が自力で動けなくなり、そのまま自宅で終末医療ということになりました。
訪問看護などの力をお借りしながら家族全員で介護をしました。
母はとても大変な思いをしましたし、姉妹も私も、交代で実家へ通いました。
(コロナにビクついてるどころじゃなかったですし、実際のところ誰にも何も起こりませんでした)
とても大変でしたし、感情的にいろんな嫌な思いもしました。
でも得難い経験でしたし、また一方喜びも、ありました。
父は食事はあまりできませんでしたが、はちのわのはちみつを口にいれ「おいしい!」と言ってくれたときは嬉しかったです。
住み慣れた家で家族全員に見守られて、苦しむこともなく、父は旅立ちました。
姉の誕生日に息をひきとるというミラクルを見せました。
残された家族には、やれることはやった、というやりきった感みたいなものがあり、誰もメソメソしていませんでした。
(正直、チャフを亡くしたときのほうが1000倍悲しかったです…)
私は、「お父さん、苦しい体を抜けられて楽になったね。よかったね」と心から思いました。
…と、コロナやワクチンから話が遠くなってしまいました、次回に続けます。
長い話をすみません。ここまで読んでいただきありがとうございました。