言葉のちから

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前回の投稿、楽しくない話を書いてしまったな…と、アップ後に少々気にしていたところ、その記事を読まれた方からメールをいただきました。
とても励まされる応援のメッセージでした。
「がんばろう」と思えました。

ネットの向こうのお会いしたことのない方々から時折いただく、はちみつのご感想や応援のメッセージに、その都度励まされています。ありがとうございます。
世の中、ハートの温かい人たちがいるんだな…とホロリです。

晴天の日に改めて内検をしたら、ミツバチたちは穏やかに接してくれました(でも警戒しているミツバチに数回は刺されましたが)。
まだスズメバチの警戒期間は続きますので、毎日のパトロールで被害を防ぎます。

腰には熊よけ鈴をつけてます

ミツバチが可愛くて、いつも内検をしながら「かわいいね」「がんばってるね」などと小声で話しかけています。
先日痛い思いをしてから、以前より大きく高めの発声で「ちょっと見せてねー」「あーいいね!すごいねぇ」「刺さないでくれてありがとう!」などと声をかけています。
及び腰になってしまった自分のテンションを上げようという気持ちからですが、さらにシュールさが増したかもしれません。

しかし、いつもは穏やかなミツバチに攻撃されたことで、一発ビンタをくらったような気持ちになりました。
今まで、前のめりでストーカーっぽかったというか、ミツバチ可愛さのあまり心配や感情移入をしすぎたり、なめまわすように内検しがちだったかもしれません。

初期の頃は心配すぎて夢の中でもミツバチのことを考えるほどでしたが、さすがにそういうことも減りました。
少しは経験を積んだのだし、やはりもう少し余裕をもったほうがいいですね。
やることはやったと思ったら、ある程度自分もミツバチも信頼して、適度な距離感をもって、肩の力を抜いてのぞもうと思いました。

そして、うまくいっていないことより、うまくいっていることにフォーカスしてみれば、養蜂を始めた頃に比べて、今の状況がどれだけ進歩したか。
また、自分はどれだけの課題をクリアし成長したことか。
これからも、自分は常に進化の途中なんだということを頭に置きつつ、目の前のことを落ち着いてやっていこう、と思うに至りました。

しんどかった日の夜、寝ていたら肩に痛みを感じました。
すわ五十肩!?もしミツバチの世話ができなくなったら…誰にも頼めないんだ、ということにハッとしました。
幸いただ寝相がよくなかっただけのようで痛みは消えましたが、焦りました。

ミツバチのケアを続けるには自分のケアも大事。
これまで、朝起きたら、「さあミツバチ!」でしたが、先日から、まずラジオ体操をすることにしました。
それと、ずいぶんさぼっていた簡単なヨガも再開しました。

ミツバチにはいろいろと気づかされてばかりです。


詳細はいつか改めて書こうかなと思っているのですが、私が田舎暮らしを志し、養蜂を始めるに至った経緯、その発端として、東日本大震災があります。

2011年4月のある日、私は仕事の打ち合わせの為に東京丸の内にあるお客様先へ行かねばなりませんでした。
「原発、爆発してるんですけど…?余震、続いてるんですけど…?」と不条理を感じつつも、一介のフリーランスである私はビクビクしながら出かけて行きました。

打ち合わせまで時間が少しあったので、丸善で本を眺めていました。
なぜその本が目に留まったのか覚えていないのですが、手に取ってページを開いてみたのが、『奇跡のリンゴ』(石川拓治著・幻冬舎文庫)でした。(当時木村秋則さんのことは、お名前は聞いたことあるかなくらいの認識だったと思います。)

本の冒頭に載っていた詩に心打たれたのですが、今読み返すと、当時とはまた違った意味で心に染みます。
引用します。

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危険から守り給えと祈るのではなく、
危険と勇敢に立ち向かえますように。

痛みが鎮まることを乞うのではなく、
痛みに打ち克つ心を乞えますように。

人生という戦場で味方をさがすのではなく、
自分自身の力を見いだせますように。

不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。

成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような
卑怯者ではなく、失意のときにこそ、
あなたの御手に握られていることに気づけますように。

(ラビンドラナート・タゴール『果物採集』より 石川拓治訳)
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これからも、はちのわを応援してくださっている方々のために、本物のはちみつをお届けすべくがんばる所存です。

内省的なことを長々と書いてしまいましたm(_ _)m
(これからも書いてしまうと思います)